前回に、引き続きまして黄門様の古墳の発掘に関する話です。今日、黄門様が発掘して出土した遺物をみることは、できません。しかしながら、どのようなものが出土したのかは、かなり知ることができるのです。モノが無いのにどうしてわかるのでしょうか。それは伝承などのあやふやなものではありません。この調査の記録が残っているからです。歴史上の記録といってもいろいろなものがありますが、今回のものは、「湯津上村車塚御修理」と名づけられた発掘調査報告書です。現在でも、発掘調査を行ったのならば、出土した遺構や遺物を図面等で記録した報告書を作成するのが必定です。もちろん、黄門様が残した、報告書は現代の報告書の水準に満たないものではあります。しかしながら、記録に残された情報からどのような遺物が出土したかがわかるのです。先ほどから単に記録と書いていますが、これは文字だけの報告書ではありません。絵師によって出土した遺物がかなり正確に記録されているのです。例えば鏡を例に挙げます。
古墳の発掘調査では鏡が出土することが多いのでが、皆さんも卑弥呼の鏡とも呼ばれる三角縁神獣鏡などはご存知でしょう。(卑弥呼の鏡とするには疑問があるのが実情ですが…。)実際には他に多数の種類の鏡の出土例があります。出土例や遠く中国で確認されている鏡多くの種類があり。それぞれ固有の名称が与えられています。専門の方はさらに細分したりもします。「湯津上村車塚御修理」に記された鏡の絵から、出土したのが何という鏡かということがわかるのです。他の出土遺物についても同様のことがいえます。つまり、記録が現在にも通じる正確なものであるということです。そして、こういった遺物が出土しているのだから、どういった時期の古墳で、どういった性格の被葬者であったのかを考えることができるのです。現在、両古墳を考える際の基礎的な資料は黄門様の資料の拠るところが大きいのです。未だにこの資料は非常に有効といえると思います。続きは次回。(O) |